仕事と働き方についての考え2「仕事とは何か」
この記事は、アーティスの代表者である池谷が自身の仕事と働き方についての考えを、社員に向けて発表したものです。
もともと社内文書であるため、広く外に向けて発信する文書と比べると書き方や内容に違和感を覚える箇所もあると思いますが、あえてそのままの状態で掲載します。
また、2014年の9月に書かれた文書であるため、当時の就活状況等、現在とは若干ことなる部分もあると思いますがご了承ください。
ところでそもそも仕事とはいったいなになのでしょうか。
辞書を引いてみると
しごと [仕事] (名・自サ)
・頭や身体を使って働くこと ・職業 ・報酬を得るために働くこと
三省堂 国語辞典などとなっていますが、
違う視点から、たとえば仕事の結果は、どんな価値を生み出しているのだろうか、というところで考えてみたらどうでしょうか。
実は、いまの自分たちの生活は、自分が知らない数多くの誰かの仕事のおかげで成り立っているのだということが分かってきます。
現在、私たちは高度に発達した文明社会の中に生きています。
原始時代、裸や、せいぜい獣の革をまとった状態で、洞穴を住みかとし、生命の危険と引き換えに狩りをし、気候の変動や外敵、食毒、病などと戦っていたころから考えれば、はるかに安全で安心、衛生的な、豊かで恵まれた生活をすることが出来ています。
しかし今、そのような生活を享受できるのは、有史以来の長い年月の中での多くの先人たちの仕事があったからにほかなりません。
なぜなら、いま世の中に存在するもののうち、「自然」と呼ばれるもの以外のすべてのものは、ひとつ残らず誰かが仕事をして創りだしたものだからです。
みなさんが着ている服も、靴も、机も、椅子も、パソコンも、スマホも、紙やペンも、この職場がある建物も全て誰かの創りだしたもの、つまり誰かの仕事の結果です。
蛇口をひねれば水が出る、スイッチを入れれば灯りがつく。店に行けばモノが買える、レストランで注文すれば食事ができる。そうした私たちがあたりまえに思っていることも、多くの人達の仕事の結果享受することができます。
仕事とは助け合いのことである
例えばいま、一息入れようと缶コーヒーを買ってきて飲むとします。
自動販売機にお金を入れてボタンを押すだけで手に入れることが出来ます。
ほんの数秒の出来事ですね。
ところが、これを誰の手も借りずにすべて自分でやって飲もうとしたらどうでしょうか。
何よりもまずは、コーヒー豆がなければ始まりません。
そこでコーヒー豆を求めて、ブラジルやコロンビアに行くとしても、飛行機も船もない。
船を自分の手作りで作るにしても、道具がない。それこそ木を切る道具を石器時代の石斧のように作るところから始めなければなりません。
そうして作った手作りの船でブラジルまで行けるとはとても思えませんし、よしんば辿りつけたとして、首尾よくコーヒー豆を手に入れ、無事に戻ってこられ、コーヒーの実を剥き、豆を取り出し、乾燥させ、火を起こし、焙煎し、粉にし、抽出するところまでたどり着くのに何年の時間と手間がかかるでしょうか。
もし、買ったのが世界各地のコーヒー豆のブレンドで砂糖とミルク入りのアイスコーヒーだったとしたらさらに何倍もの手間がかかるわけで気が遠くなりますね。
でもなぜ今、こんな手間をかけなくても手軽にコーヒーを楽しむことが出来るかと考えてみれば、そこには多くの人たちの仕事があったからだということがよくわかります。
コーヒーを栽培する人、輸送する人、飲料化する人、缶を製造する人、流通させる人、自動販売機のメーカーおよびベンダー、流通手段(車、船舶、飛行機などと道路、鉄道、港、空港などのインフラ)を作った人、燃料や電力、水道等を作り提供する人・・・
想像してみれば、一缶のコーヒーを手軽に飲めるような環境をつくるために、たぶん何千、何万もの人たちの働きがあったのだろうことがわかります。
いまでは私たちは、コーヒーだけでなく、お茶やジュース、お酒等々、好きな飲み物を、数多くの種類やブランドから選び飲むことが当たり前のようにできます。
しかし、このような嗜好飲料どころか、生きるのに必要不可欠な水でさえも、安全な飲料水を、自分の力だけで手に入れようとしたら大変です。
そう考えてみると現代の世の中で、完全な自給自足は無理です。
生きていくためには誰かの仕事が必要であり、詰まるところ、人は一人では生きて行けず、多くの人たちの助けが必要であり、助け合って生きていることがわかります。
つまり、仕事とは助け合いのことであると言ってもよいでしょう。
普段は意識することも少ないので、人によっては、いま享受できている文明的な生活を、当たり前だと思っている人もいるのだろうと思います。
でも、実際には何一つ当たり前なことなどはなく、必ず誰かの仕事のおかげであることを思い、感謝をするようにしたいものです。
働く=人のために自分の持てる力を使う
仕事をすること、つまり働くという漢字は、人偏に動くと書きます。
この字の背景には、働くということは、単に動くだけではなく、人のために動くことなのだという意味があると思います。
また、私が中学生の頃に読んだ、山本有三の「路傍の石」という小説の中に、「はたらくとは、はた(傍)をらく(楽)にすることなのだ」という一節があったことを、最近再読して気がつきました。
仕事とは、人のために動くということ。つまり、人のために自分の持てる力を使うということなのです。
仕事がいかに尊いものであるかを感じてもらえるかと思います。
仕事とお金
貨幣というものが生まれたのは、紀元前15世紀頃だといわれていますが、それまでも(それ以降も)生活必需品である米や布・塩などを物品貨幣として使っていたことを考えると、お金という概念が生まれたのは相当昔のことであった思われます。
それ以前の人間は物々交換、あるいは物と役務(働き)との交換で互いに助け合ってきました。
たぶん、そもそもは等価交換という概念もなく、例えば、狩猟の結果、一人が仕留めた獲物を、見返りを求めず、ただみんなに分け与えるといったことが普通になされていたのではないかと思います。
ところが文明が発達し、それぞれのやっていることが多様化、複雑化、専門化し、一方で、やりとりをする地域コミュニティの範囲が拡大していく中で、等価交換という概念と、それを円滑にするための「お金」が生まれ、この過程で「仕事」という概念も生まれてきたのではないかと考えます。
そう考えると、つまりお金とは仕事の結果生まれた価値を代用する手段に過ぎず、そもそも仕事とは助け合いであったことがわかります。
前述したとおり、すべてを自分で賄う自給自足は現在の世の中では、ほぼ不可能です。
いまの生活水準と同等の暮らしを一人だけで実現しようと思ったら、たとえいまの寿命の何百倍の時間をかけても無理でしょう。
だれかがやってくれた仕事の結果を受け取るために、お金を支払う。そしてそのお金は、自分が行った仕事によってそれを欲している人から受け取る。
そうやって、自分の生活、仕事、それを媒介するお金との関係が成り立っています。
「人のために動き、人を喜ばせると、お金をもらえるというのが仕事である」と、簡単に言えばそう言えるのではないでしょうか。
この記事を書いた人
- 1998年アーティスを設立し、インターネット通信販売をはじめとした数々のウェブサイト構築を手がける。ユーザビリティという言葉自体が耳慣れなかった頃よりその可能性に着目。理論や研究だけでなく、実際の構築と運営という現場で積み重ねてきた実績がクライアントの信頼を集めている。
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