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仕事と働き方についての考え7 「仕事を楽しむ」

この記事は、アーティスの代表者である池谷が自身の仕事と働き方についての考えを、社員に向けて発表したものです。
もともと社内文書であるため、広く外に向けて発信する文書と比べると書き方や内容に違和感を覚える箇所もあると思いますが、あえてそのままの状態で掲載します。
また、2014年の9月に書かれた文書であるため、当時の就活状況等、現在とは若干ことなる部分もあると思いますがご了承ください。

仕事は楽しい方が良いですよね。

でも、いまの仕事が毎日毎日同じことの繰り返しで単調で退屈している人が中にはいるかも知れません。

でも、仕事は楽しむべきだし、本来楽しいものであるはずだと思っています。
なぜなら、仕事はアウトプットであり、自己を表現するものだからです。
そしてその結果、周りを良くし、自分を進歩させていくものだからです。

お茶くみという仕事

単純、単調でつまらないと思える仕事、その代表として、お茶くみという仕事があります。

朝一番と昼休み、それ以外にも随時で、事務所内にいる全員のお茶やコーヒーを入れる仕事です。
よく、会社における男女差別の象徴のとして、「私はお茶を入れるために入社したんじゃないんです!!」と女子社員が上司に訴えるシーンがあるあれですが、私が新入社員で入社した会社では、男子社員も交代で行っていました。

当時は、私が入った会社以外でもお茶くみの仕事は当たり前のようにあり、大学時代の友人をそんな話をしていた時、毎朝、私以上にたくさんの社員のお茶を入れているというその友人が、

「いまや俺は、お茶を淹れさせたら日本一だぜ」

と、面白おかしく言ったのに感銘をうけました。

確かに、社員それぞれが飲む物も、湯呑やカップも違ったりする中で、Aさんはブラックコーヒーで、Bさんは砂糖だけ入れる。C部長は濃いめの緑茶が好き。Dさんは熱いのが好きだけど、Eさんは猫舌だ、などなど好みに合わせて美味しく入れようとしたら結構頭を使う仕事です。

たかがお茶くみと思えばそれまでですが、美味しいお茶を入れることで、飲んだみんなが喜んでくれ、その人たちの仕事にプラスになるのであれば、それはそれで立派な仕事ではないかとそう思います。
お茶くみ当番は交代で行っていたのですが、「池谷が入れてくれるお茶が一番うまいな」と言ってもらえるように、考え工夫して行うのは楽しかったです。

草履(ぞうり)取りという仕事

もう一つ、つまらない仕事だと思われているだろう仕事で、下賤な人が行うものだとされるものに、草履(ぞうり)取りという仕事があります。

草履取りとは何でしょうか。
主人の外出や帰宅の際に履物を出し入れする係りのことです。
今で言う下足番(げそくばん)のようなものですが、下足番という言葉も現在ではあまり耳にしませんね。
座敷がある店では、店員さんが靴を仕舞ったり、揃えてくれたりするところがありますが、それを専任でやる、言ってしまえば雑用的な仕事です。
私も、以前勤めていた会社で、着物や毛皮の展示即売会などを行った際に何度かやったことがあります。

さて、ご存じの方も多いと思いますが、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が昔、織田信長に仕え始めの頃、この草履取りをしていました。
寒い冬、信長が出かけようとすると、草履が暖かかったため、

「猿め!わしの草履を尻の下に敷いておったな!」

と怒ると、

「いえ、上様がお出かけになる時に冷たくないように懐で暖めておりました」

と答え、見ると懐に土が付いていた、という有名な話があります。

そこから、藤吉郎は信長にひきたてられて出世をし、最後には天下人へと上り詰めます。
気が利く。ということなのでしょうが、どうしたら自分の仕事を喜んでもらえるかを考えた結果でもあります。

草履取りを命じられたら日本一の草履取りになれ。そうすれば誰も君を草履取りにはしておかぬ。

とは、阪急電鉄や阪急百貨店、宝塚歌劇団など多くの事業を生み出した実業家である小林一三氏の言葉です。

仕事には雑用だと思えるようなものや、やりたくは無いけど仕方なしにやらざるを得ないものもあると思います。
しかし、腐らずに、自分が与えられた仕事をどうやったら一番良く出来るかを考え実行する人と、ただ単に無難にこなす人では大きな差が出来てしまうでしょう。
しかも、受け身で仕方なしにやるのではなく、積極的な姿勢でそういう工夫をして行うのは楽しいものですし、その結果喜んでもらえれば、さらに楽しいものです。

秀吉の草履とりの話が、どこまで本当なのかはわかりませんが、少なくともはっきりしていることとして、もし秀吉が信長に認められ、取り立てられなかったら、その後の日本史は大きく変わったことは間違いありません。
本能寺の変の後も国内を平定する人物が現れず、延々と戦国時代が続いていったかもしれません。
それこそ、遠い祖先が戦死して、私たちのうちの誰かがこの世に存在していなかったこともあるでしょう。

人の生き方、仕事の仕方が、たとえそれが些細なことであっても、世の中に大きな影響を与えかねないことが分かりますね。

この記事を書いた人

池谷 義紀
池谷 義紀株式会社アーティス 代表取締役
1998年アーティスを設立し、インターネット通信販売をはじめとした数々のウェブサイト構築を手がける。ユーザビリティという言葉自体が耳慣れなかった頃よりその可能性に着目。理論や研究だけでなく、実際の構築と運営という現場で積み重ねてきた実績がクライアントの信頼を集めている。
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