仕事と働き方についての考え1「なぜわたしたちは仕事をするのか」
この記事は、アーティスの代表者である池谷が自身の仕事と働き方についての考えを、社員に向けて発表したものです。
もともと社内文書であるため、広く外に向けて発信する文書と比べると書き方や内容に違和感を覚える箇所もあると思いますが、あえてそのままの状態で掲載します。
また、2014年の9月に書かれた文書であるため、当時の就活状況等、現在とは若干ことなる部分もあると思いますがご了承ください。
「あの人はどんな仕事をしているのだろう?」
気になる相手に対して覚える素朴な関心だと思います。
なぜなら仕事というのは、その人にとっての一つのアイデンティティの表れでもあるからです。
社会人となり働きはじめると、自分の持っている時間に占める仕事の時間の割合はかなり大きなものになるわけで、どんな仕事をするか(しているか)ということは、おのずとその人の考えや能力、価値観、生き方を反映したものとなります。
ですから、どんな仕事をしているのかを知ることは、その人がどんな人かの一端を垣間見るというようなことなのだと思います。
人間は早ければ義務教育終了後から、遅くとも大学等の教育課程を経た後は、親など扶養者の庇護から離れ自ら働く、つまり仕事をして生きていかなければなりません。
たとえ就職ではなく、結婚し主婦(あるいは主夫)となったとしても、家事や育児といった働きをすることになります。
就労年齢でありながら、なにも仕事をしていないというと、特別な事情がない限り、何故なのだろうと思われてしまうのが現代の社会です。
では、なぜ仕事をしなければならないのでしょうか。
お金のためでしょうか。
先般のアンケートでは、ほとんどの人が、もし食べていけるだけの不労所得があったとしても、仕事を続けるだろうと答えました。
お金は仕事をする動機としてもちろん大切なのだけれど、それ以外にも働くことの大切さを感じているからでしょう。
では、お金以外に何が得られるのか、つまりお金以外の仕事の報酬はなになのでしょうか。
達成感、自己成長、顧客からの感謝、社会に貢献した満足感、さまざまなものがあると思います。ただその中でも、もっとも根源的で大切な報酬は、自分の存在価値を充足する実感ではないかと私は思います。
実は残念なことに、いまの日本では、自分が生きている意味や価値を見いだせないという人が数多くいます。そしてその極端な結果として自ら死を選ぶという人は交通事故の死者数の何倍にも上るという事実があります。
そして統計を見ると、そのうちの6割近い人たちは無職であったことがわかります。
経済的理由以外にも、健康、人間関係、将来に対する悲観等々、それぞれに逼迫した理由があったのでしょうが、その中でも少なからぬ数の人が、自分の存在価値を実感できる仕事ができ、たとえささやかであっても、生活をしていける収入があったら、生きることを選べたのではないかと思わずにはいられません。
また、そこまで思い詰めてはいないにせよ、仕事がない人、あるいは仕事があっても嫌々働いている人は数多くいるわけで、もし没頭できる仕事を持っていたとしたら、生きる意味や価値を見出すことが出来るのではないかと思いますし、あらためて仕事というものが、それぞれの人生に与える影響が大きいことを感じます。
私自身、この会社を始める前に半年余り仕事をしていない時間がありました。
自分で起業することを決めていたので、計画の立案や準備など、基本的には前向きな姿勢でしたが、その一方で今現在、仕事をしていない、つまり無職であるという事実は、根が楽天的な私にさえも、生活の基盤をもたない不安、社会に貢献していない無力感を感じさせました。
そんな自分自身の経験からも、仕事とは生きる土台であり尊厳でもあると本当にそう思えます。
働くことが出来る喜び
日本の憲法では、勤労は納税、教育とともに国民の三大義務と規定されています。
教育というと、義務教育の9年間、そして義務教育ではないものの将来のためにと行った高校や大学など、本当は勉強などしたくなかったけれど嫌々やったという人も少なくないかもしれません。
しかし一方で、今になってみれば、勉強が出来るときにもっと一所懸命に勉強すればよかったと思っている人も多いのではないでしょうか。
世界には、日本の小学校に相当する初等教育さえ受けられない子どもがたくさんいます。
教育以前に、紛争や飢餓などで生きることだけで精一杯だという現実もあります。
ところが、生命の危険が脅かされることもなく、高水準の教育が受けられるめぐまれた環境にいながら、それを存分にしないのはとてももったいのないことだと(いまとなっては)思います。
勤労も同様です。
実は、納税以外の教育と勤労は、義務といいながら私たちにとっては権利なのです。
憲法の条文を読んでみるとよく分かるのですが、
日本国憲法 第26条の1
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」
日本国憲法第27条の1
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」
とあるように、
国民が教育を受ける権利や、勤労する権利を行使するために、国家が(教育については国家と子どもの保護者が)それを実現する義務を課されていることが分かります。
ところが、現実には働きたいのに働けない人が数多くいます。
以前朝礼で話したように、「納税することが夢」と言い、納税できるまでには充分に働くことが出来ない障がいを持った方もいますし、さまざまな制約や心理的な問題で働くことが出来ない人も数多くいるのが現実です。
また、学生の就職活動は若干良くなってきたとはいえ、依然として簡単ではなく、希望する職種につけない学生も多いようです。一方中途の応募では、働く能力が十分にあっても年齢などの問題で就職できない、あるいは希望する職種以外のところで我慢するという人が少なくありません。
そんな中で、自分が就きたい職業で仕事が出来るみなさんはとても幸せであると思います。
この記事を書いた人
- 1998年アーティスを設立し、インターネット通信販売をはじめとした数々のウェブサイト構築を手がける。ユーザビリティという言葉自体が耳慣れなかった頃よりその可能性に着目。理論や研究だけでなく、実際の構築と運営という現場で積み重ねてきた実績がクライアントの信頼を集めている。
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